「いじめる側はとてもひがみっぽい人間です。いつも自分と人を比較して、自分の欠点ばかり見て、自分にはかなわない優れた部分を持った子をいじめて、優越感に浸るのです。いじめられっ子に対して必ず何らかの劣等感を持っています。この劣等感はいじめっ子自身もどうしようもないもののようです。……(中略)

いじめっ子の中にはサイコパスのように全く良心を持たない人間もいます。私はいじめっ子にはサイコパスがかなり多く存在してると思います。どんな残酷なことも平気で出来るし、その結果人が死のうが何とも思わない。自分にコンプレックスを与える人がいなくなるとせいせいする、ぐらいにしか思ってません。しかもサイコパスの場合、大人になっても変わることはないのだそうです。もうそうなると人間じゃありませんから、とにかく顔を合わさないところへ逃げるしかありません。 ……(中略)

いじめっ子は家庭環境や教育力の低下など色々な外的要因で作られる場合と、生まれつきいじめっ子になる資質を持っている場合があります。サイコパスの場合は後者の方で、恵まれた環境で何不自由なく育っていても、遺伝的に良心の部分が欠如した人間が生まれることがあるのだそうです。

そういう人たちは欧米では人口の4%もいるのだそうで、表面的には誰の目にも明るくて魅力的な人柄に映るのに、実はそれは自分をよく見せたい為の演技に過ぎず、本質は嘘つきで、人を苦しめようが罪悪感を感じないのだそうです。非常に邪悪で、生まれつきの犯罪体質ですね。自分は欠点がないと思い込みたいし、自分の至らない部分を受け入れられない為に、他者を犠牲にしてでも自分を守ろうとする、ねじ曲がった自己愛の持ち主です。サイコパスについては私は↓の本は読みました。他にもいくつか書かれた本は出版されているようです。」(全文はこちら

●マーサ・スタウト著、木村博江訳『良心をもたない人たち/25人に1人という恐怖』

●M・スコット・ペック著、森英明訳『平気でうそをつく人たちー虚像と邪悪の心理学



八つ当たりをして一生を過ごす人たち。と言えるでしょうか。

気づいたら、そんな人間になっていた。ということだろうから、そんな人間性の育成は本人の責任ではないにしろ、社会の大迷惑。

大人の世界で、そんなふざけた無責任人間では通用しないでしょう。社会はもっとまじめなものを基盤として稼働している。日夜まじめに生きている社会にあって、おふざけ人間たちは、受け入れられるためには、普通の善良な人間より、努力に費やすエネルギーが必要というわけでしょうか?

成人して社会に出てもまれて、見かけを繕えるようになっても、チャンスさえあれば、元に戻ってしまう? その方が楽で自然体なのでしょうか? それで、匿名性のあるネットの掲示板などで、本性思いのままに行動するのでしょうか?

「やーい、やーい、だまされたー、だまされるのが悪いんだー」
と、これは、小学校低学年かそれ以下の子ども程度の悪ふざけです。
でも、これが大人になってもやめられない人がいる。心を入れ替えることができないんですね。もともとそんなこと楽しいと思ったこともない人間も多くいるわけで、私もその一人なので、その改心というのがどれほど大変なものなのかは知りません。いったい何がそんなにやめられないほど楽しいのかと、首を傾げるばかりです。

そんな人間は年を取るほどに、悪知恵ばかり長けていくようで、やることも念が入って、危険度が増します。もっと有意義な人生を送らなきゃ、こんな無駄な人生はないのに、後悔しないんでしょうか? 

ほとんど必死に悪行を隠そうとしているのは、嫌がらせの一環なのか、それともそれなりに悪い人間とは(えじき以外には)思われたくないのか? ── あ、そりゃ思われたくないですよね。思われちゃったら、信用してくれる次のえじきだって捕まえられなくなるし、悪い人間で通ってしまえば、その場所では何もできなくなるでしょう。

だから、そういう人間に慈悲をかけて、そういう人間もいられるように、悪行をさらしてはいけない? そんな法があるはずありません。そんな人間が守られる前に、そのえじきとなる善良な無実な人が守られるべきです。

社会はそのように動いていたと思いました。