Zさんが、(おそらく被害を被り)追っていたものと、私の加害者が同じものであることは、
以下のことから推測されます。

・Zさんの供述による、加害者は1999年から出没している、という情報は、私もその張本人が自らそう書いていたのを、見た記憶があります。

・Zさんが、私を誰かと間違えて、突然攻撃してきた事実があります。

・Zさんは、ネット上で私の身に起きたことを、「詐欺師の作り話」として知っていました。

・Zさんの供述から、私の偽物と、私が過去に関わった人たちの通称を真似たグループ、若しくはそのような人たちが登場する掲示板が存在したことが分かります。またそれは2ちゃんねるで起きていたことが推測されます。


以下は、私の投稿のコピーです:

語録 7 2006/ 9/ 6 9:32 [ No.948 / 949 ]
投稿者 : r3c36a

Zさんは、とても哲学的な人なんだなぁと思います。私にはとても言葉にできないようなことを、まとめてくれるので、彼女の言葉を読むことは、私にはとても役立ちます。
彼女が私をどう思っていようと、Zさんは私にとっては無二の仲間です。私は彼女の話をおそらくこの周辺の誰よりもよく理解できていると思います。



By Zさん:

〈被害者は、常に精神を患っているという偏見との戦いだと思います〉


〈その人の書く文章からその人の深層心理を読み取ろうとする人もいます。ある程度は誰もがする行為ですから許容範囲というものが存在すると思います。が、それが生きがいや趣味になっている人が存在してしまうと、人は文章を書くことをやめてしまうと思います。見知らぬ人間にいじられる事を快く思わないからだと思います〉


〈(……) 人から良く思われるように振舞うことは極力しなくなりました。というより、出来なくなりました。意識の視点を他人の視点に合わせると、失敗が多くなるからです。あくまで視点は自分の視点から見るようになりました。これは、自己中心的な視点とも違います。自分をやたら信じろという世間における啓蒙思想の視点とも違います。自分は自分でしかないという視点なのかもしれないと思ったりします。(時には、人の視点を借りて物事を見る必要も当然あると思います。)〉


〈まず、不特定多数の人に説明しようとは思っていません。知る必要のない人も大勢いると思っているからです。
ただ、自分が必要だと思う人には、相手が信じようが信じまいが自分が思うことを直接的に何度も説明した時期もありました。相手は、結果としてそのまま話を聞いてくれました。そして、少なからず理解者もいました。しかしそれは、似たような経験をした人間に限りました。それでもそのように理解されるということは現在への安心感に繋がり、精神的には大変助かりました。また、生活や人間関係の維持に大いに支えになったと思います〉


〈人間のみが食物連鎖のサイクルから外れているため、破壊のみが続くなどと言われたり、弱肉強食が人の世の現実だと思い込んで他人を手段としか思えない価値観が横行したりで、結局、残酷であろうが強者の論理に正当性があるようにカモフラージュされています〉


〈たとえば不本意な人生を歩みつつ、または克服しつつ生きていく中で、「生きてゆくテーマ」を人は見つけ出し、またはそれを強制され、人生の中で達成していく生き物であるような気がします〉


〈人には諦めを教えて、自分達はその隙間でおいしい思いをして生きていくことを他人にもやんわり強制することを良い事だとは思いません〉

2006/ 9/ 6 14:30 [ No.139 / 143 ]
投稿者 : anzu2004ca

そう。あっちにもこっちにもで、どうしようもないです。
そういうことで信じられて、ますます孤立させられては…と必死になった結果でもあると思うのよね。
綺麗事を嫌悪したくなる。自分以上にも以下にもなろうと思わなくなる。自分自身であることでしか証明のしようがない状況下。

それで、そうなのよ。同じことをされたのだろうかと思います。それは私の話を聞く前の書き込みなのだから。
私もそういう思いでした。そして皮肉なことに、応援してくれるような人たちはみな必要のない人たちなのだと思います。だから私は今回のことでは得ることができません。あなたとお話ができたらいいのにと思いますが無理なのでしょうね。

私もそう感じてきました。だいたい体験のないことを人は分からないから、率いている人たちの天下です。知らないのだから…
だから、あなたが支援してくれたように、できるだけ意思表示をすべきだという考えに変わりはありません。

当然、同感です。