私があんずの名で最初にトピをつくったのは、海外生活のカテでした。国別ではなくて、暮らしのカテゴリーの下にあるんですよね。その後、引っ越したのは北アメリカのカテでした。アメリカ合衆国のカテほど賑やかではないところです。

海外生活のカテに03年の11月の終わりごろにトピをつくって、いい仲間が集まって楽しかったです。翌年04年の5月になって、ちょっとなんとなくトピ内の女性陣にテンションが高まりつつあった。それで私はトピ主だったんだけれど、
  こんなことを書きたいんじゃなくて…
自分のトピから追い出されかかったような…感じで、どこかに居場所を求めてた。そうしたら、同じカテに新しいトピができていて、居場所欲しいと書いてあった。だから、私はそのトピに一番乗りしてしまったのだけれど、そのトピを立てた人は、何やらとても追いつめられている様子で、ヘルプを求めていて、支離滅裂で、家で虐められているらしく、バットや椅子で殴られ骨折するとか、それを読んだ誰もが、そんな家からは早く出なさいという意見で…いったい何が起きているのか正しく把握できた人はなかったと思う。
それが約2年前のことで、
姿の見えないネットの掲示板で助けを求めていた人に出会って、
それで、
信じることの難しさや、だからこそ、簡単に疑って見放すこともできないことだったし、

死のふちにまで追いやられる苦難にいる人から助けを求められて、どうするべきなのか。。。ほかにいないというのなら、せめて最後の理解者になってあげるのが私の役目だと思って、(私には私の事情からの意地があったというのもあるんだけれど)私から諦めて去ってはいけない、と思っていた。それはこの人を死へ追いやるか、または犯罪へ追いやることになりかねないと思った。

犯罪。そう。そんな生活苦から、どうしようもない理由から──そこには心理的精神的な限界も含まれると思うし──そういうところから、ヘルプを求めて拒絶されて……犯罪に追いやられる。追いやったのは拒絶した世間であることがあるんだろうな、と。。。私には私の事情からの意地があったし、そんなことにしたくなかった。

そんなことを考えていた2年前。それに引き続き(というか実は私が知らなかっただけでそれより以前から)私は、まったくふざけたいい加減な人たちに(人という仲間と思えない)振り回され、お遊びに利用されていた。こんな極端な例にほとんど同時に関わって、世の中の非情さ、アンフェアなことを痛感させられた。あの悪魔性に憤りは押さえられなかったし(押さえてるべき場合でなかったと思う)、それが1人の物事知らぬ我侭な人ではなく(そう思っていたときも十分、気持ち悪くて無気味だったけれど)集団による自制心を失った悪ふざけと知ったとき……蔑みに値すると言って良いでしょう。馬鹿馬鹿しくて相手をしていられない。それより、将来の潜在する被害者に注意を呼びかけることが大事だと思うのは、当然ですよね。取り締まってくれるものもないのだし。実質、無法状態掲示板でのことなのだから。