いいことだったのか、余計なことだったのか、大変なことだったことだけは確かで、そこに反対意見があれば、考えてしまいます。


余計なことなら、私だってしたくないから。
私は時間だけはあったので、関われた。
時間しかない人間だったので関わってしまったとも
言えるのかもしれない…。


応援してくれる人も多くいたけれど、たいていの人たちは、言葉を一度か複数回かけてくれるだけで去っていった。


そこに、ずっと長期間、たまに助言をくれる人が一人いたけれど、後にこの人は集団を引き連れた策略家と判明した。実は私や私の関わる人を使って裏で遊んでいた。だからこの人のくれた助言は、本心だったのか、そそのかすためだったのか、分からない。非常に不快な思いをさせられ、大嘘つきと分かったので、彼女の言動の何も信じる気にはもうなれない。(彼女の被害者は私だけではないということも分かったし)
それに加えて、私が関わろうとしているようなことは、余計なことで、悪いことですらあるというような意見もあって、どういうことなんだろうと非常に惑わされた。今になってようやく、そんな意見を言うのは自己中人間だと分かってすっきりしたわけです。(なにせ、私には嫌がらせ集団がつきまとっていたのだから、彼等の一味が悪意を持って、私の目に触れるよう書いた可能性もなくはないけれど…)


自己中なんだから無責任も取り柄なわけだろうけれど、良い人間と思われたいなら、良心があるのなら、自己中な意見を言う時には、そういう人間だと断りを入れてくれたらいいのに、と無理な相談かもしれないですが、思うのですよ…ったく。。。