違う。
良い人間になりたい、なんて
そんなことすら、考えにはありません。
ニーズが青天の霹靂のように転がり落ちてきた時は。

「外科手術の必要な者に
 ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は
 知らないのだ
 瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
 慰藉の意味を
 死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
 手を握りつづけることの意味を」

 茨城のり子『マザーテレサの瞳』

時々耳にする“I was just in the wrong place at the wrong time.”というフレーズ、そのものだっただけ。私には時間はあったけれど、お金はなかった。私一人で抱え込めることではなかったし、そんな経験も知識もなかった。だから、応援や援助を探しまわり続けていたのに、場所が場所だけに、理解してくれる人はとても少なかった。


私だって本来なんの関わりもないことなのに、その場にいた人たちが黙って逃げていかれては、その場にいなかった人の理解などさらに得にくいというのに…。
それでも数カ月、つきあって知識や労力やお金や心を助けてくれる人はいたけれど、充分ではなく、ヘルプしている私たちも悲鳴をあげたい状態だった。


そんなときに、「見返りを期待してしまうからできない」などと言われたら、腹がたって当然だと思う。

ましてや、私が何をしているのか知っている人たちが、面白がって裏で隠れて利用して遊んでいた、などということは呆れるし、軽蔑に値します。


実質、お抱え命の電話役。こんなことを長期に渡ってすることがどんなことだか分かりますか? ほとほと疲れ果てている人間を捕まえて、玩具にして振り回し、集団でよってたかって攻撃して、いったい何が楽しいのですか?
狂っています。